このホームページ作製の趣旨


「ヒロシマの今から過去を見て回る会」結成からの契機

私たちが広島の平和運動に関わるようになった1991年当時、「ヒロシマの被害だけを主張しても世界の人には受け入れられない、加害の歴史ー軍都廣嶋の歴史を掘り下げねば」「原爆犠牲者は日本人だけではない、多くの朝鮮人被爆者の存在を忘れてはならない」「中国人被爆者もいるはずだ」等の声があがり、「広島の強制連行を調査する会」「韓国人被爆者を救援する広島市民の会」等の活動が活発になってきて、それぞれの面で掘り下げが発展していった半面、多くの被爆建造物や遺跡が取り壊されていき、広島の地元の者でも普通に生活、働いているだけでは、「ヒロシマ」を実感出来ないような状態にいつのまにかなっていました。

一方、「軍都広島の歴史」について、マスコミからも多く報道されるようになっていき、他地方から広島へ訪れる人のその方面の関心も強くなり、広島で平和運動をやっているつもりの私達の「知ってるつもり」だけでは応え切れなくなってきました。決定的契機は「大本営跡に連れて行って欲しい」という声を聞いた時でした。しかし、「恥ずかしながら」、広島城周辺では、時折、集会等をすることはあっても、普段は余り行くこともなく、また関心が「掘り下げ」の方にばかり向いており、外国の人はおろか他地方の人達に自信を持って「ヒロシマ」を案内できる人が(それぞれの専門分野にはおられても)、私たちも含めてほとんどいない、皆誰かがやっていると思い込んでいる、「被爆者に任せておけばいい」という声を聞く、という現実に愕然としたものです。

年々老いていく「被爆者」の方達にいつまでも頼る訳にはいかない、地元で生活をし、働いている誰もが自信を持って「ヒロシマ」を案内できなければ、という反省で、本格的な調査活動を始めました。1992年8月6日「反戦反核広島集会」の一環としてフィールドワークをはじめ、1992年12月の「ヒロシマの今から過去を見て回る会」を旗揚げしました。1993年8月6日には「ヒロシマの今から過去を見て回る会」としてフィールドワークを「平和に生きる社会を創るヒロシマのつどい」(今の「8・6ヒロシマ平和へのつどい」)と連携しながら実施。当初は「広島城周辺徒歩コース」「宇品・比治山方面自動車コース」だけだったのが「呉コース」「岩国コース」、更に1994年には「広島湾スタディクルージング」とプログラムも充実していきました。

8・6以外にも、「ヒロシマの今から過去を見て回る会」として数多くの企画を行い、多くのグループ、諸個人からの依頼されての案内も増えていき、市内だけでなく、呉や宮島、岩国あたりまで戦争遺跡の調査を行っていったのは、このホームページを見て頂ければ判るかと思います。

「ヒロシマの今から過去を見て回る会」が発足する過程で、当時は「ヒロシマ」を総体的に案内する書物が存在しないことがわかり苦労したため、1993年8月、フィールドワークの成果をまとめた手づくりの「原爆遺跡・軍都広島案内ハンドブック写真集」を11分冊の形で、とりあえず100部足らずだけ出したところ、発刊者の予想を超えてあっと言う間に売り切れ、「11分冊では返って不便、一つにまとめたら」という声が多く、「こんな汚い写真集が」と思いながらも、手造りで、一冊にまとめて増刷しましたが、注文には手造りでは間に合わなくなり、そのままの形で印刷屋に発注してなんとか要望に応えることができました。出版社を通さず、直接販売と被団協の「平和会館」に置いていただけにも関わらず、1000部近く売れてしまいました(マスコミや平和教育関連の方が多く買われたようです)。今でも注文がきますが、もう手元に無く、1995年の被爆五十年を境にかなりの新設慰霊碑や取り壊された遺跡があり、また類書も出てきたので、製作者としてはそのままでは増刷する気にならず、2000年3月より、このホームページを開設し、「ヒロシマの今から過去を見て回る会」の活動の成果を発表し、更新するようになりました。

なお、上記の「原爆遺跡・軍都広島案内ハンドブック写真集」が、「初めてのヒロシマ案内」(推薦文ー1993年春)だったようで、その後、何種類か類書が「正式出版」されています。1994年には、「軍都広島の歴史」について「空辰男著、加害基地宇品=汐文社」が発刊されて多くのことが判り、このホームページを充実させることが出来ています。また、広島市が総力をあげて1996年に「ヒロシマの被爆建造物は語る」を発刊し、平和文化センターからは1999年に「図録 ヒロシマを世界に」が発刊されています。このような動きや出版の流れに先鞭を付けることが出来たと思っています。写真はお世辞にも綺麗にとはいえませんが、草の根市民運動だから出来たその内容については、いまだ類書には無いものだと思います。このホームページを見て頂ければ、その内容の一端はお判りと思います。

なお、「ヒロシマの今から過去を見て回る会」は、2007年から、広島YWCA内サークル「広島YWCA 碑めぐりの会」に吸収され、「広島YWCAヒロシマの今から過去を見て回る会」となりましたが、一宗教組織内サークルとして活動するには無理があることが判明し、「広島YWCA 碑めぐりの会」とは、今後とも友好・協力関係を維持しつつ、純然たる市民運動組織として再発足することとなりました。「8.6ヒロシマ平和へのつどい」とは、今後とも友好・協力関係を継続するものです。(2012年3月。)