490−1.2012年10月21日、オスプレイ配備撤回!10・21ヒロシマ集会(1)〜(10)

(1)13時30分開会。司会は菊間みどりさん(西部住民の会共同代表)  

挨拶は利元克巳さん=写真。(憲法と平和を守る広島共同センター)

 

広島テレビが取材、下記をクリックすると動画が見れます。

http://www.htv.jp/nnn/news8662502.html

 

(2)この日のメイン講師は沖縄から真喜志好一さん。(建築家、沖縄平和市民連絡会)    

 真喜志好一さんは建築家として有名な方だそうです。下に経歴をあげておきます。
 (3)オスプレイの仕組みを、自作の模型を使って説明 されました。  
 
 (4)ヘりモードから飛行モードへの途中の段階で事故を起こしている  
 
 (5)結果の一番のゆえん、オートローテンションについて風車で説明。  
 
 (6)回転翼が小さいオスプレイは、エンジントラブルを起こすと急降下、大事故になる。 
 
 (7) 
 海兵隊のブラック中将自身が、危険だから「(普天間周辺の)人口密集地上空では、ヘリモードでは飛ばない」と述べた 、と新聞記事を紹介して説明されました。
 (8) 
 沖縄の人たちは、1972年の復帰以前は、このように直接米国に要求していた。だが、復帰後は日本政府を通して行うことになった。

しかし、今のような日本政府では沖縄の声はとても伝わらない。

このような復帰は望んでいなかった。

 (9)参加者は61名。  
 
 (10)真喜志さんは、沖縄、岩国と全国の低空飛行ルートをつなぐ反対運動を!」と締めくくられました。  
 
 

           

 

(真喜志好一さんの経歴)

 建築に詳しい人なら、日本建築学会賞(作品)および日本建築学会作品選奨の受賞者というだけで通じるでしょう。「特に作品賞に選ばれるのは通常年間13作品のみであり、国内の建築家に与えられる最高峰の賞である」。
 
1968
年、神戸大学大学院修士課程修了後同大学工学部助手。大学在任中は構造エンジニアとして、当時関西の著名な建築家作品の構造をいくつか担当する。10年いた関西から1972年に沖縄に戻り、沖縄開発庁沖縄総合事務局に勤務。1976年、同庁を退職し、那覇市に建築設計事務所、有限会社建築研究室DIG and PILE(DAP)を設立。1984年から1985年まで、琉球大学非常勤講師を勤めた。
一坪反戦地主会、白保の海と暮らしを守る会、SACOen:Special Action Committee on Okinawa)究明委員会、意見広告を出す会、沖縄環境ネットワークなどの市民運動に深く関わる。1998年の第25回と2003年の第41回ピースボートに水先案内人として参加。
 
主な建築作品
 
沖縄大学校舎(123号館)
 
沖縄キリスト教短期大学校舎:1991年度日本建築学会作品賞
 
佐敷町文化センター(シュガーホール):1996年度日本建築学会作品選奨
 
佐喜眞美術館
 
壺屋焼物博物館
 
那覇市識名児童館・老人福祉センター:『新建築』19859月号掲載
 
大宜味村大保公民館
 
真喜志邸:『新建築』19788月号掲載
 
社会福祉法人あおぞら福祉会 あおぞら保育園
 
著作
 
『沖縄はもうだまされない 基地新設=SACO合意のからくりを撃つ』(2000年、高文研)共著:崎浜秀光、東恩納琢磨、高里鈴代、真志喜トミ、国政美恵、浦島悦子

 『沖縄の真実、ヤマトの欺瞞 米軍基地と日本外交の軛』(2010年、春秋社)共著:神保哲生、宮台真司、伊波洋一、大田昌秀、我部政明
 
『「沖縄問題」とは何か 「琉球処分」から基地問題まで』(2011年、藤原書店)編:藤原書店編集部 共著:大城立裕、西里喜行ほか
 
『オスプレイ配備の危険性』(2012年、七つ森書館)共著:リムピース、非核市民宣言運動・ヨコスカ
 
沖縄はもうだまされない 辺野古の海上基地と高江のヘリパッド新設の真相 真喜志好一のHP
 http://www.ryukyu.ne.jp/~maxi/

沖縄・辺野古海上基地の問題を中心に maxi's_page
 
http://blogs.yahoo.co.jp/okinawa_maxi