広島の街を歩くと思いもがけない場所に、軍都広島の跡にめぐり会います。ちゃんと玄関外にこの碑文が掲示されています。戦後20年ぐらいしてたてられたということです。読んでみます。(原文のまま)
「明治27年(1894年)日清戦争のとき、宇品港が兵站(へいたん)基地となった関係もあって、明治天皇は広島に大本営を進められることとなった。
広島城内の第五師団司令部の庁舎を行在所(ぎょうざいしょ)と定めて、同年9月15日ここにおうつりになった。それにともなって政府の高官や要職が来広した。その後、翌28年4月戦争が終結して、天皇が帰京されるまでの約7カ月余、広島市は事実上日本の首都となった。この間、同年10月18日から7日間の会議で、臨時帝国議会第七議会が広島に招集された。そのため貴族院、衆議院の仮議事堂がこの当たりに架設された。」
バスセンター方面から見ると県庁、水道局のすぐ裏ですが、これに気づく人は少ないでしょう。 なお「行在所」は、(あんざいしょ)と読むのが正解ですが、碑文には(ぎょうざいしょ)とふりがながうってありますのでご注意を。
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