3.明治天皇聖蹟 御用井      (中区基町3・ひろしま美術館裏歩道)
   
 

これは、街のど真ん中にありますが1989年2月1日号の「ひろしま教育ジャーナル」、宅和純先生の「碑めぐり」(宅和先生は1993年春に亡くなられました)で初めて紹介されました。「ひろしま美術館」の広島城側の歩道上に。普通なら交通の障害になるとして撤去されるような場所にあります。

 竹柵に囲われた石碑には、「聖蹟明治天皇日清戦役ノ際広島御駐輩ノ御用井」と表にあり、右には「聖蹟此処ニ在リ朝夕之ヲ仰グ 聖徳敬慕ノ懐愈々深ク 聖諭奉禮ノ念益々切也」 裏には、「昭和七年野砲兵第五聨隊将校同担當官準士官下士官兵一同、左には、「勅喩拝受五十年記念ノ為メ之ヲ建リ」と刻まれており、きれいに磨かれています。

日清戦争の時、明治天皇が広島に来た時使用した古井戸の名残りが今も祀られているのです。

左の写真は2008年5月16日撮影
   
  1894年、日清戦争が始まると、9月15日明治天皇は広島城第五師団司令部に大本営を移し、対清作戦を指揮することとなりました。翌年4月27日戦争集結後離広まで、西練兵場の一角に宿舎をとり、ほとんどその中を出ることは無かったといいます。1910年広島市がこの建物(御便殿)を譲り受け、比治山に移したましたが、原爆で比治山の木造の建物は吹っ飛び、礎石や石灯籠、階段などが残っているだけです。宅和先生は、これの紹介の最後に「碑をめぐる足は重い」と結ばれています。

右の写真は2013年5月17日撮影。
 
   

右の写真は2006年7月23日被爆2世協フィールドワークにて)
   
 左の写真は1994年7月26日フランス人グループの案内にて。
   

(右の写真は1994年6月1日案内される故久保浦寛人さん。)