中国軍管区司令部原爆慰霊碑について
明治6年此処広島城内に広島第五鎮台が設置され、その後第五師団司令部となりました。爾来その隷下舞台は、萩の乱、西南の役、日清戦争、日露戦争、北清事変、シベリア出兵、など幾多の戦役に際し、常に我が国軍の一翼として活動しました。
一連の日華事変、太平洋戦争において第五師団出兵後の広島では、留守第五師団司令部、広島師団司令部、広島師管区司令部、中国軍管区司令部と名称、組織、使命はその都度変化しながらも多くの師団、旅団を編成して送り出し、補充を行ってきましたが、昭和20年8月6日午前8時15分 原子爆弾の一閃により壊滅し、事実上の終焉を迎えました。被爆当時中国軍管区司令部に勤務しておりました軍人軍属の死没者数につきましては諸説があり定かではありませんが、この地で被爆した軍人軍属並びに学徒動員のさなかにこの地で被爆した旧比治山高等女学校関係者を中心に結成した「広島師友会」は、以来、盟友の慰霊碑の建設と慰霊式の開催を中心に活動してまいりました。
毎年8月6日午前8時より、この地におきまして比治山女子中学高等学校の主催により原爆死没者の慰霊と共に二度と戦争のない平和な社会の実現を目指す誓いの場として追悼式が執り行われております。
連絡先 比治山女子中学高等学校 広島市南区西霞町5−16
平成19年7月8日
広島師友会
下に 中国軍管区司令部配置図(昭和20年) あり
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