12.消えた郵政公社中国支社倉庫(陸軍幼年学校炊事室) (中区東白島町19−8)
   

この建物は元陸軍幼年学校の炊事室で、被爆後長く郵政局→郵政公社の倉庫として使用、保存されていましたが2007年春、残念ながらついに解体され、跡地は国に返されました。(生徒たちの思い出深い煙突は1975年に撤去されています。)

この炊事室は満13歳から14歳の食べ盛りの生徒達にとって、思い出の深い数々の回想録が残されている建物でした。(金の卵で生き残った人が多いためか)。

被爆建物保存の声の中からか、今までなんとか保存されてきましたが、残念です。(2006年11月14日中国新聞で報道)

   
 2007年、解体された日本郵政公社中国支社倉庫(陸軍幼年学校炊事室)
 2006年6月再訪したところ、「被爆建物、被爆時の名称 陸軍幼年学校炊事室(爆心地から1,340m) この建物は、1945年(昭和20年)8月6日の原爆にも耐え、その姿を今日に残しています。広島市。」(英文あり)のプレートが貼り付けてあって喜んだのもつかのまだったようです。
2006年6月の姿と、12月中旬及び翌年1月中旬、解体を待つ旧陸軍幼年学校炊事室の写真、及び5月解体された跡の写真は下に。

(2006年7月1日現在)   

被爆建物」とプレートが設置してあるのを見つけ、喜んだのですが、その時、既に「解体」の話が進んでんでいたとは!

   
   

(2006年12月13日現在)

倉庫の中は既にカラ。「解体」工事を待つのみということです。工事は翌年3月には終わるということでした。

   
   

(2007年1月14日現在)

もう空地になっているのかと行って見ましたら、ご覧のとおり、解体用に作られたフェンスの中でまだありました。

   
   

(2007年5月13日現在)

このとおりすっかり解体され跡形もなくなりました。