この建物は元陸軍幼年学校の炊事室で、被爆後長く郵政局→郵政公社の倉庫として使用、保存されていましたが2007年春、残念ながらついに解体され、跡地は国に返されました。(生徒たちの思い出深い煙突は1975年に撤去されています。)
この炊事室は満13歳から14歳の食べ盛りの生徒達にとって、思い出の深い数々の回想録が残されている建物でした。(金の卵で生き残った人が多いためか)。
被爆建物保存の声の中からか、今までなんとか保存されてきましたが、残念です。(2006年11月14日中国新聞で報道)
(2006年7月1日現在)
「被爆建物」とプレートが設置してあるのを見つけ、喜んだのですが、その時、既に「解体」の話が進んでんでいたとは!
(2006年12月13日現在)
倉庫の中は既にカラ。「解体」工事を待つのみということです。工事は翌年3月には終わるということでした。
(2007年1月14日現在)
もう空地になっているのかと行って見ましたら、ご覧のとおり、解体用に作られたフェンスの中でまだありました。
(2007年5月13日現在)
このとおりすっかり解体され跡形もなくなりました。