18.草津八幡宮 凱旋碑と凱旋燈 (西区田方一丁目11−18・草津八幡宮下) 
草津八幡宮境内への階段を登ってすぐ右に自然石の「凱旋碑」と記された碑がみえる。左には英文を添えた「草津八幡宮由来」碑がある。鳥居には昭和六年九月建之とある。

 凱旋碑  
 

北清約從軍者人名 陸軍勲六等鳥居佐太郎  勲七等淺川村次郎 勲八等増田三代太 等15名の名前

 北清約從軍者 海軍 坪田與市 田中淺次郎 日清役從軍者 陸軍 勲八等 松村眞一 宮本寅吉

(右)明治三十五年五月 (左) 古田村有志建之 とある。

草津八幡宮由来碑には、「古代このあたりまで、深い入江であった。草津の地名の起こりは、軍津浦輪(いくさつうらわ)すなわち軍船の寄港地であったことによる説と宇佐の神が祭られていた津、宇佐津(うさつ)などの説がある。創建は古く飛鳥時代の終わり推古天皇の頃(625)に宇佐八幡宮を歓請したことによると伝えられ、中世には力箭山(りきやさん)八幡宮ともいわれた。祭神には、宗像三女神、八幡三神他三柱が祭られている。旧暦八月十五日の氏神祭(今は、九月末の日曜日)には、三台の神輿がせり合い「草津けんか祭」として有名であった。現在は保存会により、それが伝えられている。

 Kusatu Hachiman−Gu(Shrine)

 The shrine is estimated to have been built sometime aroundo 625AD This plase used be an inlet ineelier days.

左の写真は1994年撮影。

 凱旋燈  
   

階段をさらに登って社殿の前に出ると、鳥居には明治三十三年吉日氏子中とあり、左手に馬の像(大湊時次郎 草津南町 昭和六十年四月吉日)があり、社殿の右に、昭和39年台風により石垣・玉垣等大崩壊、昭和五十年には手水舎倒壊、昭和五十一年十二月に社殿の修復が行われた旨の説明がある。その右手裏にこの自然石の碑がみえる。

上に 奉日清戰役 凱旋燈 納北清事變 とあり 下に 明治三十四年九月 吉和徳一 吉田吉松等36名の名前があり、草津村從軍者 とある。

左の写真は1994年撮影。