1−5.似島(5)馬匹焼却炉の遺構と将軍宿舎跡等

   

今の「臨界少年自然の家」のあたりには、元は「第二検疫所」があったのですが、今は取り壊されて、代わりに、今の小中学校付近にあった「馬匹検疫所」の遺構の一部が持ち込まれて保存されています。2003年9月、久しぶりに再訪したところ、手入れされている様子無く、すっかり寂れていました。下の碑文もほとんど読み取れない状態。

左の写真は2004年5月15日のフィールドワークで。
   
 

碑文

旧陸軍運輸部馬匹検疫所焼却炉

  この遺構は、平成2年(1990年)9月、ここから約600メートル南にある似島 住宅用地内で発掘された旧陸軍運輸部馬匹検疫所焼却炉(軍馬の検疫・消毒を行う施設 )の焼却炉の一部を移設したものです。

  昭和20年(1945年)8月6日、広島市は人類最初の原子爆弾によって一瞬のう ちに壊滅し、多くの死傷者を出しました。この年の12月末までに約14万人の人が死亡したと言われています。

  ここ似島にも、約1万人の負傷した原爆被爆者が収容されましたが、応急看護のかい もなく死亡者が続出し、その遺体があの焼却炉においても火葬されたものです。

  ここに、原爆による被害の悲惨さを後世に伝えるとともに、恒久平和実現への誓いを 新たにして、この遺構を保存します。       平成3年(1991年)広島市

左の写真は1995年5月13日撮影。
   
 左の写真は1996年8月、沼田鈴子さん等と。
   
 またこのあたりには、小高い山の上の畠に、将校宿舎だったらしい木造の建物も残っています。写真は上の畠にあるもの。1998年bには2軒あったものですが、2003年9月には1軒だけになっていました。

道路沿いにあった建物は消えていました。


右の写真は1995年5月13日撮影。
   
 右の写真は2004年5月15日のフィールドワークで。