7−2、2006年8月6日フィールドワーク「宇品・比治山方面」(11)〜(20)

(11)   
   

宇品中央公園にある陸軍運輸部跡、船舶司令部跡記念碑です。支部ではありません。本部です。ここが大陸出撃の拠点だったことをはっきり示しています。

前の「波止場公園」から「宇品中央公園」まで歩いて行ったのですが、「宇品中央公園」の方は、「宇品凱旋館記念碑」「明治天皇行幸碑」「港の歌碑」(空も港も 夜ははれて 月に数(かず)ます 舟の影はしけのかよい にぎやかに よせくる波も こがねなり」と出兵の光景だと意味深な解説を加えながら)等もあり、説明したり歌ったりしてましたので余り写真はありません。皆さんも暑さでばてているのが目に見え、短時間で切り上げました。

 (12)  
   

千田廟公園公園の千田貞暁です。(広島を軍都にした張本人)の銅像です。広島を原爆投下の絶好地にしてしまった人(結果論かもしれません、いや宇品築港援助懇願の手紙を読めばそうとも言えません!)

 

 (13)  
   

銅像を見て戻るところ。神社になっています。最近は「軍都広島」を語る時、いつも案内しています。

 

途中、陸軍糧秣廠跡「郷土資料館」を車内から見て貰いました。

 

 (14)  
   

「凱旋通り」を通って帰りついたのは「軍都広島」の極め付き、「平和塔」と名を変えている「日清戦争凱旋碑」です。

これで「軍都広島」は決めて終わり。また、被爆の惨状跡に戻ります。

 (15)  
   

「御幸橋」を通って車は一路、広島電鉄車庫へ。この春、643、654型被爆電車が引退したので、貸し出されていないか心配でしたが、「651型被爆電車」が待っていてくれました。

 (16)  
   毎年、8月4日には地元の子どもたちを対象に、平和教育研究所「被爆電車で被爆者の証言を聞く」催し(今年は空辰男さん)がもたれていますが、8月6日には手のあいた被爆者はおられません(時間も取れませんし)ので、車庫で、このように中へ入って皆さんに雰囲気を味わって貰っています。
 (17)  
   
 (18)  
   

運転席の裏の説明も書き加えられています。

 (19)  
   今年は、四両の内、2両が現役を引退したという話題もあってか、「頑張れ!被爆電車」とばかり、例年に増して、多くの説明や激励文が飾ってありました。
 (20)  
   

酷暑で外は非常に熱かったのを皆さん、ここまで良く耐えられたということで、冷房が効いてきた社内でかなり休みました。