17−3、2006年8月6日フィールドワーク「宇品・比治山方面」(21)〜(30)

 (21)  
   大学生は運転手になった気分で記念写真。
 (22)  
   

皆さん、出るときに、私の方で特に説明した訳ではありませんが、進んで慰霊碑に参拝されていました。

 

この跡、「うましめんかな」の舞台広島貯金局跡のビル前の車内で詩の朗読、。

 (23)  
   これが爆風で曲がり、ガラスの突き刺さっている日本赤十字原爆病院の窓枠です。1993年被爆建物・日赤は解体され、このようなモニュメントになりました。
 (24)  
   

「水」を求めて亡くなった犠牲者の気持ちを思いやって、新しい慰霊碑には水がしつらえられています。

 (25)  
   

被爆建物は、このようになるのがいいのか、被爆時のままに保存する方が議論が分かれているところです。

 

車は、「ふり返りの塔」のところでいったん止まり、感動的な詩を読みながら、一路、最後の目的地「浄国寺」へ。

 (26)  
   

中国新聞社裏「浄国寺」です。ここはまさに爆心の寺。左から原爆で折れた宝塔、西地方西新町慰霊碑防空機動隊墓標と入り口にあります。、

 (27)  
   

後ろに見えるのは、原爆で一家全滅になった無縁墓。

 (28)  
   その前にこのような、六対の被爆地蔵もあります。
 (29)  
   

「原爆死」とはっきり書いてある墓石です。被爆で亡くなったのが読み取れる墓が沢山あります。「戦死」という墓も。敬虔な気持ちになります。

 (30)  
   

この寺には無数の哀しみが詰まっているようで、私は毎年、最後はこのお寺で締めくくることとしています。

この5月、この墓地を守ってこられた藤田常盤さんが火事で不慮の最後をとげられました。