23ー1、2008年8月6日フィールドワーク(1)〜(10)

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広島城堀の被爆ユーカリ−広島城周辺徒歩コース

 

※この日のコース、筆者が案内もしていますので、写真撮影の余裕は殆どありませんでしたので部分的になっています。

 

 
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   中国軍管区地下通信司令部跡壕内で、「広島全滅」の第一報を発信された岡ヨシエさんに変わって、藤井純子さんに話をして頂きました。
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岡さんの心が乗り移ったような藤井さんの話に皆さん感動して聞き入っておられました。

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多門院、被爆当日、県の防空本部がおかれ、多くの被爆者が逃げてきたところです。8時の鐘を吊るした鐘楼は天井の梁が折れ曲がり破損しています。−−宇品・比治山自動車コース

 

 
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比治山陸軍墓地、中国人捕虜の墓前。隣のフランス人墓、ドイツ人墓に比べかなり小さい。日清戦争時、「脱亜入欧」が唱えられる中で中国人への蔑視が読み取れる。

 
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陸軍被服支廠前。爆心から2700m。100年近く経った重厚な煉瓦造りと曲がった鉄扉の前。

 
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被爆当日から数日を読んだ峠三吉の「倉庫の記録」の詩の一日目を読んで頂きました。

 
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軍港宇品の後は今、波止場公園として整備されています、近藤芳美さんの歌碑を読むのが1番。

「陸軍桟橋と ここを呼ばれて

還らぬ死に 兵ら発ちにき  

記憶をば継げ

 
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裏に説明が。海を見ながら読めば迫力があります。