5.鶴羽根神社 石の太鼓橋 石鳥居 (東区二葉の里二丁目5−11) |
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饒津神社のすぐ奥、爆心から千八百メートルぐらいだろうか。原爆の炸裂で、多くの建物は爆風により倒壊したが、類焼は免れたという。
品陀和気命(応神天皇)、伊邪那岐命など五柱を祀り、1190年頃に由来の元を持つという。江戸時代より八丁堀以東の総氏神となり尊崇を受けていたが火災等苦難の歴史を持っている。明治5年、鶴羽根神社と改称、広島東部総氏神へ列せられた。
2012年5月13日撮影。 |
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門柱に何と刻まれているか、ご覧の通り。「君」「臣」の文字が目立つ。裏には皇紀二千六百年と刻まれている。
2012年5月13日撮影。 |
石の太鼓橋 |
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2012年5月13日撮影。 |
松 灯籠 |
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ここで難を逃れたのは、上の写真にある門柱、中央に写っている石の太鼓橋、マツの左の唐獅子、この写真の石灯籠で、それぞれ痕跡を持っている。そしてこの写真中央の松も被爆樹だ。立派に葉を繁らせている上に、松という木の性格上、ちょっと見ただけでは判らなかったがが「被爆樹木マツ 爆心から1810m このマツは、1945(昭和20)年8月6日の原爆にも耐え、生き残りました」と説明板がついた。
2003年11月19日撮影。 |
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2003年11月19日撮影。 |
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この境内では、第二総軍司令部がバラック兵舎を五棟建設して入居し、半壊の参集殿には、同隊の負傷将兵や一般の負傷者を収容したという記録が残っている。
左は石の太鼓橋を渡ってみたところです。
写真は2000年5月。 |
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右の写真は2013年9月23日のフィールドワークにて。 |
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【御由緒】
当神社は、鎌倉初期に、椎の木山(現、二葉山)を修理料として寄進され、創建致しました。
その後、幾多の動乱の時期を過ごし、広島城の築城よりは、東北位にあたる事から「鬼門鎮
守社」とし、加えて八丁堀以東の「東の総氏神社」として定められていました。
江戸の後期に隣地からの類焼の難を受けた折、藩主御命によって現在地へと御遷宮、明治
期には「神饌幣帛料供進社」に指定されていました。昭和期、原爆投下によって御社殿等は
倒壊、その姿を変えてしまいましたが、石鳥居や狛犬、太鼓橋や手水舎は往時のまま、二葉
の杜にたたずんでいます。
また御社名も、椎の木山に因み「椎木山八幡宮」から、明治初期には「鶴羽根八幡宮」に、数
年後に現在の「鶴羽根神社」へと、改称の歩みを辿っています。
【御祭神】
八幡三神…品陀和気命(応神天皇)・息長帯日売命(神功皇后)・帯仲津日子命(仲哀天皇)
妹背二柱…伊邪那伎命・伊邪那美命
【御祭暦】
・ 1月 元旦 歳旦祭
14日 古神札焼納祭〜とんど祭
・ 2月 3日 節分祭(…豆打の儀にて、福豆をまきます)
・ 3月13日 椎木稲荷神社 御祭礼
・ 4月29日 春季大祭〜植樹祭(…境内植樹の儀を斎行致します)
・ 7月29日 夏季大祭〜夏越祭(…輪くぐり神事を斎行致します)
・10月29日 秋季大祭
神賑行事 29日前の日曜日(…神楽奉舞の後、福餅をまきます)
・12月31日 歳晩祭
・毎月 1日/15日 月次祭・30日 報賽祭
【御祈願】
<殿内御祈願>
・人生儀礼…結婚式、初宮詣、七五三詣、十三詣、十五詣、成人詣、安産祈願
厄年厄祓、慶祝詣(還暦から福歳の祝)、誕辰祭(誕生日の祝) 等
・諸 祈 願…家内安全、病気平癒、方位除、厄除、障除、清祓、安全祈願
交通安全、旅行安全、商売繁盛、学業成就、合格祈願 等
・正式参拝…正式参拝、報賽、各種報告祭 等
<殿外御祭典>
・人生儀礼…神葬祭、式年祭、春分/秋分/盆 祖霊祭 等
・建築儀礼…地鎮祭(起工式)、立柱祭、上等祭、竣工祭、家清祓、解体祭 等
・諸 儀 礼…邸内社/社内社 御祭礼
神棚奉斎、月次祭、事務所/店舗 開、清祓、慰霊祭 等
▲ ご不明な点につきましては、お気軽にお問い合わせ下さい。 社務所 拝
2012年5月13日撮影。 |
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