6.明星院 (東区二葉の里二丁目6−25 歴史の散歩道) 
   
ここは爆心地から1.8キロ、全焼ゆえ被爆建物は残っていません。被爆樹と被爆仁王像、そして石碑を紹介します。

明星院由来記

「二葉の里 歴史の散歩道」

明星院

毛利輝元が母の位牌所として建立し(当時は妙寿寺(院号明星院)と称す)。その後、浅野氏のとき藩祖長政夫妻の位牌を安置し領内鎮護のための祈祷所となった寺である。

天保6年(1835)、藩主浅野斉尭(なりたか)が境内の西半分に(饒津)神社を造営の後は饒津神社の別当寺とされた。

 昭和20年(1945)、原爆により全焼、現在の建物は昭和49年(1974)に再建されたものである。堂内には赤穂浪士四十七士の木造が安置されている。」

 (イチョウ)  
   被爆樹に「説明板」がついており、判りやすくなりました。(イチョウ、ソテツは2012年5月13日撮影、松は2013年9がsつ28日撮影)

被爆樹木 イチョウ 爆心地から1,780m

このイチョウは、1945(昭和20)年の原爆にも耐え、生き残りました。

   
 右の写真は2013年9月28日のフィールドワークにて

傷痕が固められています。
 (蘇鉄)  
 

「被爆樹木 ソテツ 爆心地から1780m

このソテツは、1945(昭和20)年8月6日の原爆にも耐え、生き残りました。」

 (マツ)(松)  
 

「被爆樹木 マツ 爆心地から1780m このマツは 1945(昭和20)年8月6日の原爆にも耐え、生き残りました。」

 左の写真は2013年9月28日のフィールドワークにて

   
 仁王門は原爆での倒壊を免れたと書いてありますが、見るからに新しい。その中にはまた新しい鉄製の仁王さんが立っています。

その手前にある2体の仁王さんは被爆したもののはずです。木製の被爆遺跡ということになります。で追加します。

右の写真は2013年9月28日のフィールドワークにて
 
   
 右の写真は2013年9月28日のフィールドワークにて  
   
 右の写真は2013年9月28日のフィールドワークにて  
   
                 
   
最近整えられた4つの石碑。全焼区域なので被爆遺跡にあたります。内容は追って。 
右の写真は2013年9月28日のフィールドワークにて
   
 右の写真は2013年9月28日のフィールドワークにて  
   
 右の写真は2013年9月28日のフィールドワークにて  
   
 右の写真は2013年9月28日のフィールドワークにて  
   
 右の写真は2013年9月28日のフィールドワークにて