18.碇神社     (中区白島九軒町12−19)
 
 

 創建は1250年前、奈良朝時代という。その頃はこの辺りは海辺。大岩盤があって、舟の遭難が跡を絶たず、海難よけの氏神として建てられた。広島における最古の神社である。
幕末頃は、尊皇攘夷派の集合場所であり、太平洋戦争前には(1934年が神社を皇国思想を下から庶民に植えつける場として整備された年)白島地域の総氏神として存在していた。原爆により毛利照元広島築城の際に建てられた社殿は灰塵に帰したが、石造りの物は残った。前の門柱は明治四十五年四月吉本吉助建之、宮中顧問官陸軍少将佐藤正織書、とある。狛犬は文化二年(1805年)丙子九月と刻まれ、あちこち欠けている。

「二葉の里 歴史の散歩道

碇神社

16世紀末に広島城が築城される以前から、この地に社があったとされ、19世紀初めに記された「知新集」によれば、築城前のまだこの地が青海原であった頃、ここへ他国船が碇をおろしたことから碇神社といわれるようになったと伝えられている。」(説明板)

   
 

灯籠は明治三十六年十一月一日とあり、ぱっくり縁が欠けている。手水もある。さらに中の灯籠は明和七年(1770年)庚寅秋9月、中の門柱は大正十年五月西白島町福田千次郎とある。更に中の狛犬が写真の物で、文政元年(1818年)九月吉日とあり、割れ目が目立つのをつなぎ合わせてある。大正十三年五月皇太子殿下御成婚記念樹と記された碑もある。即位記念と記された碑もある。このあたりは、火の勢いが強かったのであろうか。いずれも焼け跡が目立ち痛々しい。。

一方「世界人類が平和でありますように」と書かれた立て札もある。ヒロシマの心とは何か、皆で考えてみよう。

   
   タブノキと毎年花をつけている桜が被爆樹で生き残ったものと確認されている

(たぶのき)被爆樹木 タブノキ 爆心地から1,800m

このタブノキは、1945(昭和20)年8月6の原爆で地上部を消失しましたが、その後、根元から芽を吹き返しました。(説明板)

   
 

さくら) 被爆樹木 サクラ 爆心地から1,800m

このサクラは、1945(昭和20)年8月6日の原爆で地上部を消失しましたが、その後、根元から芽を吹き返しました。(説明板)