20.安田学園内慰霊碑と被爆樹(中区白島北町1−41・安田学園内)
   
 (1)安田高女慰霊碑            (中区白島北町1−41・安田学園内)   
 碑文 「この碑は昭和二十年八月六日広島市に投下された原爆により、尊い生命を失った職員十三名及び生徒三百十余名の霊永久に安すかれと祈念し、職員生徒の奉仕を得て安田学園が建立したものである。     昭和二十六年五月
 1915年広島技芸学校として設立された歴史をもつ安田学園は、当時安田高等女学校といいました。開学者「安田リョウ」記念碑の左手にあります。昭和48年とある原爆死没者氏名板には職員13名、生徒315名の名前が刻まれています。ほとんどが、現在の平和公園の中にある材木町付近の建物疎開の作業に駆り出されていて、全滅、見るも悲惨な状況であったようです。

左の写真は2012年5月24日、撮影。

    
  (2)サクラ

1992年、安田学園正門から入ってすぐ庭の真ん中にあったクスノキは2002年にはみあたらなくなり、かわって右のサクラに「被爆樹木 サクラ 爆心地から2,110m このサクラは、1945(昭和20)年8月6日の原爆にも耐え、生き残りました。」と説明板がつきました。右の写真は2013年4月3日、撮影。

 (3)マツ  
 一本の細いマツも被爆樹です。1993年1月に事務員さんに教えられていました。2002年には説明板「被爆樹木 マツ 爆心地から2,110m このマツは、1945(昭和20)年8月6日の原爆にも耐え、生き残りました。」を確認しています。こちらは、爆心から反対側、裏側に写真でご覧のとおり傷跡が残っています。戦後植え替えられたのでしょう。

ただ2012年5月24日に再訪したときは見つけられていません。

左の写真は2002年9月24日撮影。