57.日本銀行広島支店職員慰霊碑  (中区基町8−17)
   
   1992年に、広島市民病院裏に建て変わった建物の四階の壁の中に、慰霊碑ははめ込められています。銀行内の慰霊碑の場合、銀行開店中の時間帯に正式に窓口に申し込まなければなりません。1993年に訪れた時はこの犠牲者の名前が記されたレリーフ(右)を中心にした慰霊碑だけでしたが、2000年ごろ、下のようにこの一室は「被曝の惨状」とともに、「日本銀行」ということで「お金の歴史や日本銀行の役割」が勉強できるように展示がされるようになったとのことです。時には会議等が行われて見られない場合もありますので、、出来れば事前に連絡した方がやはりいいかも知れません。目的をとちゃんと告げれば、こころよく案内してくださいます。

写真は2007年2月22日撮影。
  当日、日本銀行正職員は出勤者12人のうち5人が死亡しました。後に出勤中の犠牲者などが判明し42名の名前がレリーフには刻まれています。

他にも守衛さんや掃除人さん等の犠牲があったはずですがそちらの方の詳細は不明です。建物が特に堅牢だったため、爆心地近くでありながら、建物だけはほとんどそのまま残り、市内の各銀行が翌日からこの中で営業しました。しかし放射能などのために、銀行員の多くは身体をこわし、次々に亡くなったり、退職していきました。被災当日も、重傷の生き残りの行員の手で業務を行ったといいます。

写真は2007年2月22日撮影。

   
 

詳しくは日本銀行広島支店のホームページにありますので、そちらを訪問してください。

写真は2007年2月22日撮影。