4.福屋    (中区胡町6)
   
   

 1929年に、敷地面積が現在の約3分の1で開店されたこの建物は、戦争が激しくなるとともに、売るべき商品も無くなり、国策に沿った用途に売り場も供出させられていました。1944年には大部分の売り場を軍関係の業務や配給業務に当てられていました。各階の使用状況は次のようなものでした。


地下2階  陸軍通信隊
地下1階  福屋(雑炊食堂、その他)
1・2階  中国地方軍需管理局
3  階  広島県木材統制株式会社
4  階  金属回収株式会社
5・7階  広島貯金局
6  階  中国海運局
8  階  福屋(事務室)

 8月6日の被爆とともに爆風と熱線のため、窓は破壊され、地上階の建物の施設、備品は飛散して、多数の死傷者を出しました。軽傷者のみがかろうじて脱出した後、全館火災に包まれ、内部は完全に焼失しました。完全復旧まで9年を要し、その後、4回の増改築が行われてきました。写真手前の部分に被爆前の面影を残しています。
   
 

電車通りのを挟んだ北側に説明板がたてられています。

「福屋百貨店(爆心地から約710メートル)

鉄骨鉄筋コンクリート造地上8階、地下2階建ての建物は、原爆の炸裂による強烈な爆風と震動を受け、すべての施設、器具類が壊れ吹き飛ばされました。

また、全館が炎の海と化し、建物の中にいた多くの人が亡くなり、建物は骨組みと外郭を残すだけになりました。(被災した福屋百貨店 1945年9月 川本俊雄氏撮影)

(写真は2012年10月18日撮影)