10−2.キリンビヤホール・モニュメント(中区本通り10・広島パルコ西側外壁)
   
   私たちが、有名な被爆建物(市役所本庁舎、貯金局跡、御幸橋派出所等)が次々に取り壊されていくのを見て、「見て回る会」の活動を始めた1992年、すでに遅く、よく食事をしていたこのキリンビヤホールは解体工事中だったのを覚えています。で、写真を撮るのも間に合いませんでした。今、その跡に建っている広島パルコの西側外壁に埋め込まれているモニュメントのみ紹介するしかありません。

写真は2012年10月18日撮影。
   
 

写真は2012年10月18日撮影。

キリンビヤホール(爆心地から約670メートル)

キリンビヤホールは、1938年(昭和13年)6月、郊外に建設されたビール工場と共にオープンしました。

1845年8月6日午前8時15分 原子爆弾のさく裂によりにぎやかだった周辺の町並みはすべて焼失し、この建物の外郭だけが残りました。しかし、同年12月には早くも営業を再開し、その後多くの市民の憩いの場として親しまれてきました。

被爆の惨禍を伝えていくため、外壁の一部分をここに移設して保存しています。

被爆直後のキリンビアホール 米軍撮影

 
   
 このパルコの後の下にモニュメント

写真は2012年10月18日撮影。