14.ジュノー広場と顕彰碑   (中区袋町8番・袋町小平和資料館隣)
   
 

2004年10月2日、袋町小平和資料館と広島市まちづくり市民交流プラザの間の空き地に、毎年、マルセル・ジュノー博士をしのぶ記念祭を行っている県医師会などが資金を出し、博士の肖像が入った直径約五十センチのレリーフが石垣に埋め込められ、功績をまとめた解説板が設置されました。周辺は「ジュノー広場」と命名されました。

説明版にはこうあります。

「1945年赤十字国際委員会の駐日代表として来日していたジュノー博士は、広島の原爆被災の惨状を聞くや、医師として放射能の恐ろしさを知りながら、15トンの医薬品とともに9月8日来広し、廃墟と化した市街地に入って、各所で自らも被爆市民の治療にあたった。
 博士によって届けられた医薬品の中には、日本では手に入らないものもあり、数多くの被爆者が救われた。
 当時、救護所の一つであり、1日100人あまりの診療が行われていた袋町国民学校(現在の当校)においても、博士は被爆者の治療にあたられた。
 広島の恩人であるジュノー博士の生誕100年にあたり、その人道的・献身的な行為に心から感謝し、この広場をジュノー広場と命名するとともに、末永く広島市民に語り継がれていくことを祈念する。
2004年10月2日」

2004年10月3日中国新聞に出ていました。

   
 

また、資料館を挟んで反対側(北側)にも被爆遺跡が置いてりあます。

「被爆した旧元安橋の欄干
被爆時の衝撃で破損したものと思われます。昭和58年、元安橋の改修工事の際に川の中から発見されました。」

また新しくマルセル・ジュノー広場と書いた石碑が建ちましたので読んでみました。

「ジュノー博士のレリーフを設置している石組みは、広島城の外堀の石垣の一部です。
戦国時代の武将毛利元就の孫、毛利輝元によって天正十七(一五八九)年に広島城の築城が始まり、その後、内堀、中堀、外堀の三重の堀を巡らした大城郭になりました。
平成十三(二〇〇一)年に完成した紙屋町地下街「シャレオ」の工事の際に、大規模な外堀跡が発掘されその一部を袋町小学校に移設したものです。」