18.愛宕池と被爆エノキ等   (中区小町・平和大通り緑地帯)
   
 全日空ホテルの横、白神社の前に県重要文化財とある愛宕池があります。今は町名になっている寺、浅野藩時代の国泰寺の庭園だった跡です。今は平和大通りの緑地帯の中となっています。池の石は勿論被爆したものですが、その回りのエノキや他の樹、ご覧のように被爆樹を示す黄色い説明札が付いているのが判るとおもいます。

「広島市指定 史跡 旧国泰寺愛宕池 広島市中区中町7−6の一部及び近幸10−1の一部 指定 昭和58年11月28日

 この辺りは、旧国泰寺の境内にあたります。この池は、ここに国泰寺の鎮守愛宕神社があったことから愛宕池と呼ばれるようになったものです。愛宕社は、国泰寺開基当時(1601年)から存在しており、この池は当時のおもかげを残しているもので、城下町形成初期の遺構として貴重なものです。

 また、この池は、白神社の境内に連なる岩礁の一部を利用して池としたもので、城下町形成初期の頃の海岸線は、この付近であったと推定され、三角州形成の一つの里程標としても意味深いものです。なお、池石の一部に彫られた竜は、満潮時には遊泳したという伝説を伝えています。

 国泰寺は、毛利氏の時代に、僧恵瓊が安国寺として創建し、福島氏の時代に改めて国泰寺として開基されました。(1601年)その後、浅野氏が藩主として入国し、その菩提寺として、歴代藩主の尊敬をうけました。

 現在、国泰寺町は、西区己斐上三丁目の山腹に移転しています。

昭和60年3月  広島市教育委員会」

   
 

戦前からあったこの回りの豊かな森はほとんど焼失。巨木として有名だった一本のエノキも焼失し、そこから目を吹いたと言うことです。10本の被爆樹木がありその説明文を記しておきます。

また、その下に広島市教育委員会が1985年に設置している説明板の文章をあげておきます。

上と右の写真は2005年6月19日撮影

下の写真は2002年5月11日撮影

 
   
    愛宕池被爆樹木 
エノキ2本 ムクノキ3本 センダン1本 カキ1本 クロガネモチ3本 計10本

被爆樹木 エノキ 爆心地から530m
このエノキは、被爆前は直径2メートルを超える巨木で、旧白神社境内にありましたが、1945(昭和20)年8月6日の原爆で黒く焦げたため、切り倒されました。その後、根元から2本の芽を吹き返し、今では別々の木のように育っています。

被爆樹木 エノキ 爆心地から530m
このエノキは、被爆前は直径2メートルを超える巨木で、旧白神社境内にありましたが、1945(昭和20)年8月6日の原爆で黒く焦げたため、切り倒されました。その後、根元から2本の芽を吹き返し、今では別々の木のように育っています。

被爆樹木 ムクノキ 
このムクノキは、旧国泰寺境内の愛宕池の周囲にありましたが、1945(昭和20)年8月6日の原爆に耐え、生き残りました。

被爆樹木 ムクノキ 
このムクノキは、旧国泰寺境内の愛宕池の周囲にありましたが、1945(昭和20)年8月6日の原爆に耐え、生き残りました。

被爆樹木 ムクノキ 
このムクノキは、旧国泰寺境内の愛宕池の周囲にありましたが、1945(昭和20)年8月6日の原爆に耐え、生き残りました。

被爆樹木 センダン
このセンダンは、旧国泰寺境内の愛宕池の周囲にありましたが、1945(昭和20)年8月6日の原爆に耐え、生き残りました。

被爆樹木 クロガネモチ
このクロガネモチは、旧国泰寺境内の愛宕池の周囲にありましたが、1945(昭和20)年8月6日の原爆に耐え、生き残りました。

被爆樹木 クロガネモチ
このクロガネモチは、旧国泰寺境内の愛宕池の周囲にありましたが、1945(昭和20)年8月6日の原爆に耐え、生き残りました。

被爆樹木 カキ
このカキは、旧国泰寺境内の愛宕池の周囲にありましたが、1945(昭和20)年8月6日の原爆に耐え、生き残りました。

被爆樹木 クロガネモチ
このクロガネモチは、旧国泰寺境内の愛宕池の周囲にありましたが、1945(昭和20)年8月6日の原爆に耐え、生き残りました。