23.医師医療従事者原爆殉難碑  (中区小町・平和大通り緑地帯)
   
   

碑の建設は1961年。電車道から百メートル道路を東に歩いて行けば大きいのですぐ判ります。他を圧倒するほど大きいのがむしろ気になります。

 医師を国手と呼んだのにちなみ「大地にはえた手」をあらわすデザインであるといいます。

 いずれ来ると予想されていた大規模空襲に備え、児童達は疎開していったが医師、看護婦、助産婦は、市内から離れることを禁じられていました。当時市内の医師会員298人中270人が被爆、80人が即死。その後の死亡もあって226名が犠牲に。看護婦、助産婦らも含めて医療従事者2370名のうち2168名が犠牲になりました。凄まじい数です。毎年八月六日夕方、慰霊祭を行っています。重傷の身でありながら、被爆後、必死 で治療・看護にあたり、そして多くの医師、看護婦、助産婦が次々と死んでいきました。