また、市役所の近く、鷹の橋商店街の入り口の本屋の裏に「新本家地蔵尊」と書かれた木造の小さな社(やしろ)がありました。ですが、2012年3月再訪したところ、あたりはすっかり変わり、右の地蔵尊、見当たりませんでした。元のままの写真と文章を残しておきます。
この地蔵さんの言われは、新本(にいもと)家は元は吉島刑務所あたり一帯の地主で、笹森恵子(新本)さんのお父さんが生まれた100年くらい前、刑務所長から誕生祝に贈られた物ということです。原爆とは直接関係ありませんが、新本さん(お父さん)夫婦が被爆されたのに加え、3女の笹森さんが鶴見橋付近の建物疎開で重症を負い、ひどい顔になられていたのが、流川教会の谷本牧師やノーマン・カズンズさんの精神養子運動で、被爆乙女の治療でアメリカに渡ったことにるようです。笹森さんは、手術を受けすっかり良くなり、そのままアメリカで看護婦となり、人気者だったそうですが、日本人と結婚され、子供ももうけられており、アメリカで被爆証言もしているとのことで、何度か一時帰国されているとも聞きます。そういうことで誰いうことなしに「原爆慰霊碑」のように言われだしたようです。戦後ここに移されたのですが、20年位して元の地蔵尊そのものは盗まれ、新しい台座には新本家一眼地蔵とあり魂が宿っているそうです。
写真は2012年5月6日撮影。 |