11.旧相生橋碑 (中区大手町一丁目10・原爆ドーム緑地帯) 
   
原爆は、米軍がB52を前夜から何度も広島上空に飛来させ、何度も空襲警報を出させ、人々が昨夜来の何度もの空襲警報解除でホットして外に出たところを狙って、この特徴あるT字型をした相生橋を目標に投下された。人々を外におびき出す陽動作戦、これは米軍が、原爆の威力をためす人体実験のために意図的に行ったことである。広島が原爆投下の対象とされたのは、「軍国日本の象徴的都市」であったというのも勿論だが、人口密集地という事も大きな原因である。原爆開発の実務責任者グローブスは、原爆投下の第一候補として京都を主張したという事実を忘れてはならない。
この旧相生橋は慈仙寺の鼻において、1932年、それまでの二つの橋に相い接するという奇構から架橋された。慈仙寺の鼻は、現在、平和記念公園の最北端だが、当時は繁華な町並みがあり、人の往来も多かった。1940年、被爆時の相生橋が架かる以前からあった、朽ち果てた旧第一橋の場所に石碑が建てられました。被爆遺跡である。右手の写真は被爆時から長らく使用されてきたの相生橋の欄干です。

2013年5月17日撮影。
   
 右の写真は2002年5月26日撮影。