24.慈仙寺跡の墓石  (中区中島町1・平和公園内中央) 
   
   
 

 爆心地からわずか200m、ここに広い境内を持つ慈仙寺がありました。

 建物は全て壊滅し、寺にいた全員が即死、墓石だけが残りました。被爆の証人である墓石を一基だけ現地に残して、慈仙寺は現在多くの被爆墓石とともに江波に移っています。墓の主は、広島藩浅野家の御年寄、岡本宮内。墓の笠にあたる相輪が原爆の爆風により飛び崩れており、爆風のすさまじさを物語っています。原爆で残ったのは、鉄筋コンクリート、煉瓦造りの建物、石造りの橋、そして記念碑、墓石等、石の類だけです。1993年3月、このあたりを工事中、三基の子供の墓(岡本姓、1770年頃の物)が見つかり慈仙寺に引き取られました。2002年8月1日に開館した国立平和祈念館の工事中にも色々な遺品らしきものが発掘されました。まだまだこの辺り、掘れば何が出てくるかわかりません。

この平和記念公園の敷地内でも多くの犠牲者が荼毘(だび…火葬)に付されたといわれますし、骨も残さず灰だけになった犠牲者も多いと聞きます。平和公園内「碑巡り」はそのような死者の上を歩いているのだ、ということを肝に命じて下さい。