31.原爆死没者慰霊碑(広島平和都市記念碑)と日の丸(中区中島町平和公園内中央)
   
 

 1952年8月6日に除幕されました。ここに眠る犠牲者の霊を雨露から守りたいという気持から、埴輪型に設計されたといいます。埴輪の中央に石棺があり、その中に原爆犠牲者の名を記入した過去帳が納められています。毎年8月6日には、全国及び外国からも数万人の人々が集まって、原爆犠牲者の追悼式典が行われ、そのときに新たに届け出のあった犠牲者の名前が追加されます。2013年8月6日現在で28万6818人、103冊の名簿(他に「氏名不詳者多数と記された名簿、長崎被災者9名の名簿も)に達します。毎年5月には名簿の風通しがありますが、まだ身元不明の死者も多いはずです。

ちなみに、1945年12月末までには、約14万人(誤差=1万人)が亡くなったといわれています。

しかし放射線の影響は、1945年12月末までの急性症状にとどまらず、それ以降も様々な後障害を引き起こしています。特にいくつかの悪性腫瘍(癌)は被爆者でない人々と比べて、被爆者に発生する率が高いことが確認されています。

昔話ではありません。2012年3月11日の福島原発事故で生まれた何百万人、何千万人もの放射線被害者がこれからどうなるのか、寿命を縮まれるのではないか、癌の発生率が高くなるのではないか、それ以外の障害も生まれるのではないかと心配されます。

2013年5月17日撮影
   
 

 この碑文の「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」という言葉については、インドのパール判事などは「過ちはくりかえさせませぬから」とすべきだという主張をしました。今になって考えると、たしかにその方が意味があったとも思われます。自分だけはくりかえさないと言っても、フランス・インド・パキスタン・北朝鮮は核実験を繰り返してきましたし、アメリカ・ロシアは未臨界核実験を続け、核兵器開発を進めています。また、ブッシュ時代ののアメリカがイラクやロシア・中国等を想定した核使用計画を立てていることも判明しています。北朝鮮やイランの動きも危なっかしさ、恐怖を感じさせます。

2012年9月21日、またもやこの慰霊碑に赤い塗料が吹き付けられるという事件がおこりました。(9月22日付け中国新聞ホームページ)多くの市民、2000年以降、これで10回目だそうです。

今こそみんなでスクラムを組んで「くりかえさせん」と体を張って、平和への決意を新たにしなければなりません。

なお、この平和公園の土地は、かっては広島で一番賑やかな町でした。この慰霊碑の下には、寿司屋、紙箱屋、喫茶店、映画館の四軒がありました。原爆は広島に落ちたというより、そこに住んでいた一人一人の上に落ちたのです。

2013年5月17日撮影
 
   

このすぐ隣に日の丸掲揚台があります。この掲揚台は、まず1963年に右翼団体の日の丸会からの寄付によって建てられたものといいます。その後、1982年10月、広島木材青年経営者協議会によって建て替えられたものです。残念ながら二回とも、市民からの反対は無かったようです。

 慰霊碑の中に眠る犠牲者は日本人だけではありません。強引に連行されて牛馬のごとくこき使われた朝鮮人たち、彼らはまさに、この日の丸の下で奴隷とされてきたのです。又、捕虜となって閉じ込められたままで被爆し、ようやく外にはいだした所を市民達に虐殺された7人のアメリカ人の名前(2000年夏に2人追加、2002年2月6日7人目が申請されました。、米兵捕虜の被爆死は12名と推定されています)もここに入っていますし中国人犠牲者の存在(強制連行され被爆した人19人、内5人被爆死)も明らかになっています。

その慰霊碑の上に、又もや、侵略の旗印であった日の丸がひるがえっています。彼らに眠りは与えられないのでしょうか。この公園は、世界のものであり、人類のもの、市民のものでなければならないはずです。

広島の原爆詩人、栗原貞子さん(2005年3月没)の詩の一節です。

ヒロシマは残酷な都市 平和公園の原爆慰霊碑の空に 日の丸の旗がひるがえっている。 日本の日の丸などて赤い おらが息子の血で赤い 旗は今もお国のため天皇のため 死ねよ、死ねよと はためいている。 日の丸の下に安らかな眠りはない それでもピース。ピース ピース・ヒロシマだ。

2004年5月1日撮影
   
 2008年12月26日撮影
   
 2005年12月24日
   
 2007年1月28日