36.全損保労組の碑 (中区中島町1・平和公園内東)
   
 

碑文の作者は、被爆者である保険会社員です。全日本損害保険労働組合広島地方協議会が、1965年、全国に募金を呼びかけ建立しました。被爆時、広島では14の保険会社に200人が勤務していましたが、その内89名が犠牲となりました。その犠牲者を合祀しています。ただ、碑は川の方に向かっており、公園の中心部からは見えにくいし、小さくて判りにくいのが残念です。

 

 碑文

なぜ あの日は あった なぜいまもつづく 忘れまい あのにくしみを この誓いを

労働者の手によって建設され、原爆投下の理由とその歴史、その犯罪性を鋭く指摘している事、平和への行動を、過去から現在・未来へと受け継ぎ、訴えている事は他にみられない出色の碑です。右翼の人の気に入らず、よそへ持っていかれた事件もありました。

   
 

ただ、「語り部」、故沼田鈴子さんは言われました。「にくしみは、乗りこえなければならないのよ」と。

たしかに、「にくしみ」は忘れてはならないことでしょう。しかし、その次元にいつまでもとどまっていたら、決して思いは通じないでしょうし自分が不幸になるだけではないでしょうか。それを乗り超えたからこそ沼田さんの「語り」が人々に感動を与え、世界に通じるものとなることができたのではないのでしょう。そういう意味で時代の限界を示した碑文とも言えるのではないでしょうか。

 

右の写真は1994年12月撮影