37−1.被爆したアオギリ  (中区中島町1・平和公園内東)
   
   

 この二本のアオギリはこの場所で被爆したものではありません。白島の逓信病院の中庭で熱線に焼かれたものを、逓信病院建て替えの際、この公園に移したのです。「アオギリの語り部」故沼田鈴子さんは、もう生きて行くのが辛くなって死のうと思った時、ふと元の職場、逓信病院の庭で、幹の焼かれたアオギリを見たところ、けなげにも小さな若葉を出しているのを見て勇気づけられたと言われてました。彼女にとっては、命の恩人の樹です。

 三本あった木の中は空洞になり、腐っていますが、その内一本はついに枯死してしまい、今は二本です。空洞の中に、良くメッセージが書き込まれていますが、そんなことすると返って樹は痛い痛いと言っているのが沼田さんには聞こえるそうです。いくら善意でも落書きは止めましょう。被爆の恐ろしさを語ると共に、生命力のたくましさを告げてきた証人を守らなければなりません。なお枯れ死した樹も含めて、芽生えた新しい芽は、植物公園で大切に育てられ、全国各地に、世界各地に、「被爆アオギリ二世」として送られ、平和の願いを込められ大きくなっていっています。

2013年5月17日撮影。
   
 

しかし、2001年2月、落書きが多くて(平和のメッセージでも樹には痛いもの)樹が傷むので、柵が設けられました。また近くに、自生のちいさな「アオギリ二世」が発見されています。また記載台も設置されました。(下に写真)  また、2003年9月5日の中国新聞に新しく5本ぐらいの2世らしき苗が自然に育っている、と報道され翌日を六苗確認しましたが9月20日に『被爆アオギリから「五感をふるわす体験を」沼田鈴子さんとともに』という催し(下に掲載)があり行ってみたところ一苗だけになっていました。

また、沼田さんとアオギリのことについて書かれた本は漫画も含めて数冊ありますが、その中で「青桐の下で」(広岩近広著 明石書店1993年初版発刊)については、英語、イタリア語と翻訳され世界中で読まれていますが、2001年夏、中国語でも翻訳されました。筆者は内モンゴルでの、出版記念会に同行しました。

また2001年11月11日には「広島の歌」の最優秀グランプリに、その3日選ばれたばかりの「アオギリのうた」の森光彩子さんと会いましたので特に次ページで紹介します。

※2004年8月7日午後2時前、この被爆アオギリの内1本が台風18号の強風で根元から倒れましたが、翌朝、広島市緑化推進部により、元の場所に植え戻される工事が行われました。皆の願いが通じたのか、根付いたようで2007年7月には元通り花実をつけました。(1番下に掲載)

4ページ目から24枚の写真を掲載しています。


右の写真は2000年8月撮影。

 
   
   左の写真は1994年12月撮影
   
 2013年5月17日撮影、被爆アオギリ2世  
   
   
 平和公園内自生アオギリ二世(被爆アオギリのすぐそば)と柵がされたアオギリ
   2003年6月15日撮影
   
 (2003年9月) 
 

元あった場所に「平成12年8月2日にアオギリ二世としてこの場所に育っているのを確認しました。自然の実生が見つかったのは初めてです。末永く大切に育てましょう。平和公園管理事務所」とありましたが、大きくなってきて、そのままでは成長が危ぶまれるようになったため、被爆アオギリのすぐそば(東)に「被爆アオギリ二世   平成12年(2000年)夏、この場所から 約10mはなれた植え込みの中で自然の実生から育っていた「被爆アオギリ2世」と確認できる苗木が見つかりましたので平成15年(2003年)3月19日に移植しました」という説明板ともに移されました。(下の3月21日つけ中国新聞記事に詳しくあります。)

すると、2003年8月土壌改良の性か、親樹と移植された2世の足元に、新しいアオギリの新しい2世が芽を出し話題になっているところです。新聞では4苗となっていましたが、早速9月6日写真を撮りに訪れたところ5苗を確認できました。(右の写真)この分だと、アオギリ2世で、足元が埋まっていくのでは?と心配していましたが、9月20日に『被爆アオギリからヒロシマを発信「五感をふるわす体験を」沼田鈴子さんとともに』(下に掲載)という催しに行ってみたところ一苗を除いて消えていました。

被爆アオギリに落書きが耐えないので残念ながら2001年2月13日、柵がされてしまいましたが、2002年4月3日、広島市が200万円つぎこんで、メッセージを書ける記載台を設置、ボタンを押したら「「アオギリのうた」も聞けるようになりました。聞いてみて下さい。もう前の写真のように沼田さんもアオギリのに触れる位置で説明するのは不可能ですがぜひメッセージをよろしく。

2003年9月6日
 
   
 被爆アオギリから「五感をふるわす体験を」沼田鈴子さんとともに
   
 2003年9月20日に『被爆アオギリからヒロシマを発信「五感をふるわす体験を」沼田鈴子さんとともに』という催しに、偶然現地でカメラマンとして呼ばれ、撮影した3ショットです。
   
 自生アオギリ2世は9月6日訪れたところ5苗を確認しましたが、この写真のように、一苗を除いて消えていました。どうしたんげしょう?
   

歌っているのは山県郡豊平町のシンガーソングライター新屋(にいや)まりさん

 

   
              
 
 2004年9月7日、台風で倒され、翌日再生されたアオギリ   
 

2本ある被爆アオギリの内一本が、2004年9月7日午後2時前、18号台風で根こそぎ倒れてしまましたが、翌日すぐに再生作業がおこなわれました。もう一本と被爆アオギリ2世は無事でした。細い根は切れていましたが、主根はつながっていたそうです。

被爆者やみんなを励まし続けてきた被爆アオギリ。無事に根付き、元気に復活することを願ってやみません。

上の2枚の写真は、2004年9月11日、現地に行って撮影したものです。下は2005年5月3日、新葉が無事に生えたところ。(これらの写真の方は自由に利用されて結構です)

2004年9月11日撮影
   
    2004年9月11日撮影
   
   (2005年5月3日撮影)