43.嵐の中の母子像 中区中島町1・平和公園外南)
   
 作者は本郷 新 反戦平和のシンボルとして知られている「わだつみの像」の作者です。 1959年第5回原水爆禁止世界大会がこの広島で行われた時に、広島市に寄贈されもの。原像は石こうで出来ていたが、多くの母親たちの募金によって、ブロンズ像につくりかえて1960年8月にこの場所に建立されました。


左の写真は2013年5月17日撮影。
   
  子供を守ろうと前かがみになった母親は、右腕でしっかりと赤ん坊をわが胸に抱きかかえています。左腕は腰にのばして幼な子を背負おうとしているのです。幼な子もまた、母親にしがみついています。原爆のもたらすすごい嵐の中で、おそらく多くの母子のとらざるを得なかった姿勢でしょう。原爆でも、この母子のきずなを断つことはできないぞ、という訴えがこめられています。果たしてこの母子はこの嵐の中から逃れることができたのでしょうか?逃れることが出来たとしたら、戦後をどのように生きたのでしょうか。又、同時に考えられることは、あの15年戦争という嵐の中で日本の母親は果たしてわが子をこのようにしっかりと守ってきたでのでしょうか、ということです。むしろ、本心からではないとしても、戦争に行って死んでこい、靖国神社で会おうと言って追い出してきたのではないのでしょうか。そしてアジアの母子もまた、この日本兵によってこの像のような悲劇に追い込まれてきたことを忘れてはなりません。

左の写真は2003年12月26日撮影。
   
 左の写真は2004年6月20日撮影。
   
 左の写真は2004年6月20日撮影。
   
   左の写真は2004年6月20日撮影。