(※ここで、このホームページ作成者、私の個人的な心情を語ることをお許しください。私は被爆者でも被爆2世でもありませんが、実はこのマルセル・ジュノー博士等の活動なしには今の私は存在はない、この方が命の恩人だったんだな、たぶん、と。このような活動をしていてはじめて気が付きました。
私は1946年8月3日、広島から約60`離れた山口県柳井市で生まれ育ちました。子どもの頃母親から、よく聞かされていました。「お前は2歳頃、結核にかかって、もう助からないと医者から言われていた。そこにペニシリンという大変高価な薬が入ってきて、財産は全て投げ出し実家からも援助して貰って、その注射を打ち、それで助かった」と。
ある本に書いてありました。マルセル・ジュノー博士等の活動で入ってきた医薬品は、廿日市の大野陸軍病院にも送られたが、せっかく被爆者のためにと送られてきたのに、そこで大量の横流しにあった、と。ペニシリンもその中にあったと。柳井市は広島の商圏。私を助けてくれたペニシリンは、その横流しされた医薬品に違いない、と思いあたりました。全ては記憶、憶測の世界のことです。)
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