45.ノーマン・カズンズ記念碑  (中区中島町1・平和公園外南) 
   
 

 

2003年8月2日、碑文のとおりのヒューマニズムに溢れた広島市の名誉市民、故ノーマンカズンズさんを偲ぶ記念碑がマルセル・ジュノー記念碑のそばに建てられ、秋葉市長、カズンズさんの長女アンドレアさん、4女セーラキット・シャピロさん、精神養子で被爆乙女として世話を受けて一時帰国されていた笹森恵子さんらゆかりの人々によって序幕されました。

上に顔の肖像があり、その下に「世界平和は努力しなければ達成できるものではない 目標を明確に定め責任ある行動をとることこそ人類に課せられた責務である。ノーマン・カズンズ」の言葉が英文とともに埋め込められています。

 

右に以下の説明のある碑が沿えられています。通訳だった笹森さんは途中で感極まって出来なくなり、秋葉市長が急遽通訳されたそうです。余談ですが笹森さんに新本家地蔵尊のことを私どもが話すと、驚かれるとともに色々教えて頂きました。(2003年7月21日、中国新聞「願いは海を越えて」参照)


左の写真は2012年11月3日撮影。
   
 ノーマン・カズンズ(1915〜1990)
米国ニューヨークの文芸雑誌「土曜文学評論」の編集長として、1949年広島を訪れ、ルポ・「4年後のヒロシマ」を発表。これを契機に、流川教会の谷本清牧師らとともに原爆により家族を失った子どもに対する「精神養子運動」を行い、400名を超える子どもたちに米国から物心両面で支援した。さらに1955年谷本牧師や原田東岷医師らが取り組んでいた原爆後遺症のケロイドの治療に関わり、25名の女性の渡米治療に尽力し、彼女たちに将来に対する希望と自信を与えた。1964年、広島市特別名誉市民の受ける。
カズンズ氏のヒューマニズムに富んだ活動を称え、日米市民の相互理解と協力を永遠に心にとどめるため、これを建てる。
2003年8月2日 ノーマン・カズンズ氏記念碑建設委員会」