3.広島県立広島工業学校動員学徒 原爆遭難の碑 (中区中島町10−22前・本川河畔緑地) 
   
   

碑の裏には、広島県立広島工業高等学校   創立90周年記念 昭和62年とあります。


平和公園から、西平和大橋を渡り本川河畔の散歩道をアステールプラザに歩いていく途中、厚生年金会館の北の緑地帯にあります。

 県庁付近といいますから、この碑付近で1年生187人は、教師3人と一緒に建物疎開に動員されていたようです。遺体は骨もまともに残らず全滅。弁当箱や靴などを遺族はやっと見つけて死亡が確認出来たのはましな方であるといいます。被爆当時、学校は今の千田町二丁目、千田公園の北にあたります。爆心から約2キロ。全焼地域の境目にあたり、ここで亡くなった生徒・職員を中心に、267人の名前を刻んだ慰霊碑が、1962(昭和37)年に現在の出汐町の県立広島工業高校内に建てられています。

写真は2013年11月2日撮影。