4.西応寺の墓石(峠三吉の墓)と被爆者の絵(中区中島町9−5) 
   
   

平和公園の資料館側から厚生年金会館・アステールプラザへ行く道筋にも善福寺・浄円寺と被爆墓石を持つ寺があります。代表して、1953年3月10日亡くなった原爆詩人峠三吉の墓(峠家の墓)のある西応寺を紹介します。峠家の墓は原爆で傷ついた被爆墓石でもありますし、黒い雨の跡もあります。バス通りの道路から西応寺が見えます。墓地は本堂の裏です。

 本堂の左の細い通路を通って墓地の中に入ると、最初は建て替えられた新しい墓ばかりのように見えますが、3列目を平和公園よりに歩いて行くと峠家の墓が見えます。毎年峠三吉の命日には、被爆者や平和運動の関係者により慰霊式が持たれています。外にも多くの被爆墓石があります。このあたりの他の寺(浄圓寺や善福寺など)でも、傷ついた墓石、昭和二十年八月六日没と記された墓が目につきます。

左の写真は2002年5月26日撮影

   
   

また、この寺の前に、2002年8月3日、脚本家の早坂暁さん等の提唱で、原爆投下直後の広島の惨状を描いた絵を焼き付けた陶板画の碑が、「被爆者が描いた原爆の絵を街角に返す会」により除幕されました。市内八十六カ所に碑を置く運動を進める運動の第一号です。

 建物疎開に行く途中、天満町(西区)にあった福島川沿いで被爆した草津国民学校高等科一年(当時)の木村秀男さん(69)=西区=が今春、描いたB4判の二枚組み。一枚は、青空の下、土手を歩く児童たちが米軍機から投下された原爆を見上げる様子を、もう一枚は爆発後、火の手と黒煙から血だらけで逃げ惑う児童たちを描いたものです。

左の写真は2003年9月20日撮影