7.梶山季之文学碑(中区加古町5・アステールプラザ裏) 
   
 

「原民喜」の文学を研究・紹介する広島での活動からはじまり、有名作家になってからもヒロシマの被爆者を題材にした作品を発表し、時には物議をかもしたりされました。大江健三郎らと再三来広し、ヒロシマに尽くしたた作家、梶山季之を記念した碑が1991年、アステールプラザ(中区民文化センター)裏に建てられています。

「梶山季之文学碑
この碑銘「花不語」(花は語らず)は、故人が揮毫に用い、心情の一端を托した言葉である。梶山季之は昭和五年、ソウルに生まれ、終戦後、両親の郷里地御前(現廿日市市)へ引揚げた。のち、市内水主町(現加古町)に居住、学生時代を送った。
 在学中より文学への素志を培い、有志をあつめ、主導的役割をもって、焦土広島の地における文化の創造と振興に関与、その実践力は抜群の成果を生み、文化的営為の基礎づくりに貢献した。昭和二十八年上京、昭和三十七年、「黒の試走車」により。一躍、世評を高め、文学の一分野を拓いた。爾後、その著作は、昭和四十年代の社会環境を如実に反映し、さらに季節社を創設して、日本文壇基礎資料収集に尽力、近代作家研究に重要な文献を残した。
 昭和五十年五月、取材のため香港へ赴き客死。行年四十五.
 故人の旺盛な活力と文業を偲び、有志あい集まって、広島の未来にわたる文化振興のため、縁となることを願い、ここに故人ゆかりの地にこれを建つ。
平成三年五月      梶山季之文学碑建立委員会」

 左の写真は2008年9月2日撮影