10.万代橋(よろずよばし) (元安川) 
   
   

 被爆に耐えてきたこの橋は、1981年架け替えられ、消え失せた県庁橋とも呼ばれた この橋は、欄干と説明板だけがヒロシマを語り継いでいる。一瞬に焼かれ、影だけ残した人も、荷車も、リヤカーも今はない。

 オフチンニコフの詩。「橋を渡っていた人々は どこへ行ってしまったのか もう決して その人々の名前も知ることはできない 焼けてしまったのだ じょう発してしまった
のだ 溶けてしまったのだ」 「振り返る

ことを忘れ、歩くことだけを強いられる、こんな生き方でいいのだろうか」(宅和純)、川は静かに流れる。

(写真入説明板)

「万代橋(よろずよばし)(爆心地から約880メートル)て残しました。
アスファルトの上には、欄干の柱と一番下の鉄棒の影がはっきりと映っていました。影の落ちと形から爆発の方向を知ることができました。
この橋の上には、その跡、歩いていた人の影や荷車、リヤカーの陰も残っていました。
(欄干の影が焼け残った万代橋 米軍撮影)」

   
 


(欄干の説明文)
万代橋親柱
万代橋(よろずよばし)(橋長95.5メートル 復員5.5メートル 構造 鋼板桁)は、対象五年ドイツ人技師の設計により 大手町と加古町(休町名水主町)を結ぶ重要な生活道路として また 地域における交通の要(かなめ)として架橋された・
 当時 県庁が加古町に所在していたところから 通称「県庁橋」とも呼ばれ 広く市民に親しまれていたが 昭和20年8月6日 原子爆弾の熱線は 橋上に人間の影を焼きつけるなど被爆の痕跡を残し その後の歳月を 被爆の証人として耐えてきた
 老巧化による架替えにあたり 歴史の証(あかし)として 旧橋の親柱をここに保存する
昭和56年12月28日 広島市」