14.浄宝寺の墓石 (中区大手町三丁目1−24)
   
    浄宝寺は被爆時には爆心地、中島町にありました。墓石を除いて、当然、全て灰になりました。 戦後、市内を転々としながら、1950年の区画整理により、数多くの被爆墓石と共に、ここに移ってきました。爆心地の墓だから、西向寺の墓石と同じ、石ハネ現象の見られる墓が数多く見られる。(上の写真)
   
   左の写真の手前の赤茶っぽい墓には、更に、原爆で死亡、村岡三八、62歳、同マサ51歳と刻まれている。合掌。他にもこのあたりで被爆した隆向寺にはずらりと一家全滅で無縁となった被爆墓があるし、殆どの寺には、原爆で傷ついた墓石、無縁の墓、昭和20年8月6日と記された没年月日が目だつ。平和公園周囲には寺がまだまだ沢山ある。時間があれば、爆心地周辺の寺全てをゆっくり回ってゆっくりお話を聞きたい気がする。安芸門徒というだけの事はある。住職さん達、訪れる檀家の人達、大抵親切で優しく応対してくれる。例外もあるが。
   
   

下の墓には昭和二十年八月六日 松井高敬 同テフ 武雄 八重子

昭和二十年八月二十日 徳次郎 九月十一日 菊枝 昭和二十年八月六日国子 昭和二十年八月三十日 圭子 昭和二十年九月六日 淳 と被爆死の多いいがわかります。

国田家の墓 昭和二十年八月十五日 彦七 四十八才 昭和二十年八月六日 イツヨ 四十二才等

「本墓は大正十五年七月旧墓地(中島本町)に建てたが原爆にて破損せしにより昭和二十九年新たに仏石を再建、九代 以降破損拡大の為修復 平成十四年 十一代」と真新しい墓がこの寺の変遷を語っています」(写真略