4.比治山神社  (南区比治山町5−10
   
    全焼地区の中にある広い神社です。この境内の中も、救護所に指定されていたわけではありませんが、火ぶくれになった被災者が逃れてきて身を横たえ、そのまま亡くなっていったということです。
 元は1646年に始まり、1870年比治山村の神社となり、1907年に国から主要神社に指定され、庶民の素朴な御利益の神社から次第に皇国思想の物に変わっていった歴史を持っています。原爆で本殿等は全て焼失、石造りの物だけが被爆遺跡として残っています。
一番手前の門柱は昭和5年の物。

   
   次の石灯籠は弘化四年(1847年)とあり、割れ目を持っています。中の門柱は、明治四十年一月広島県知事從四位勲三等山田春二撰となっています。
   
   更に昭和3年の鳥居、明治36年の狛犬、門柱などがあり、「被爆遺跡」にはこと欠きません。いずれも火災のためでしょう、黒ずんでいます。