5.仏立寺原爆供養塔(南区比治山本町4−15) 
   
   平和公園に原爆慰霊碑が建てられた1952年、最初にお参りしたのはこの仏立寺の住職と檀家の人達だったといいます。仏立寺は戦前は、今は百メートル道路となっている、鶴見橋付近にありました。建物強制疎開で取り壊され、戦後田中町の方へ移っていましたが、檀家には肉親を失った人が多いようで、8月6日のお参りは欠かした事がなかったといいます。が、被爆者の高齢化に伴い、檀家の人の多く住んでいる現在地に1967年この「原爆供養塔」を建て、寺も移って行き、ここで8月6日のお参りをするようになったということです。ちなみに今の百メートル道路建設の元は、防火帯としての空き地造りの建物強制疎開にあるという事を抑えておいて頂ければ、寺の場所が以降、転々としたのも納得がいくでしょう。