8.明泉寺 山門とマツ (南区段原二丁目6−9)
   
 

被爆建物 明泉寺 (爆心地から1,900m)

この山門は再開発によりお当時の場所から約15m南に移動していますが、昭和20年(1945年)8月6日の原爆にも耐え、その姿を今日に残しています。広島市」とあります。

原爆の爆風に耐えて残った山門。高さ約7メートル、幅約3メートル。木造の被爆建物としては多聞院鐘楼に次ぎ、爆心からは2番目に近いのですが、本堂、庫裏は倒壊、この山門だけが残ったといいます。多くの被爆者が駆け込み夜露をこの下でしのいだと言われます。段原地区は比治山の陰にもあたり、戦前からの多くの木造建物が残り、狭い路地が入り組んでいました。1972年から区画整理がはじまり、この寺も建て替えをされましたが、地元の人の熱意でこの山門は残されたといいます。

   
   

外からも見えるマツは被爆樹。広島市の被爆樹木リストに掲載されています。黄色い説明プレートが貼り付けられています。

「被爆樹木 マツ 爆心地から1,900m

このマツは、1945(昭和20)年8月6日の原爆にも耐え、耐え生き残りました。段原再開発事業に伴い、1995(平成7)年に現在の場所に移植されました」とあります。明泉寺と同じ距離、どこから移植されたのでしょうか?

   
 手水鉢も被爆したもの。ただ被爆遺跡の定義では全焼区域ということで、2キロ以内ではあるが比治山の影になりこのあたりは焼けていないので被爆遺跡の範疇には入らないが採りあげておきます。
   
   

また、お墓に入らせて頂きました。右の墓石、昭和二十年八月六日亡 秀 二十五才、とあります。

そばにも、昭和二十年八月六日亡 トミ子  二十七才、由紀子 四才と親子らしき犠牲者の名前が刻まれた墓石もあります。合掌。

写真はいずれも2012年10月13日撮影。