なお2002年5月13日に訪問した時は「被曝アオギリ2世」がありましたが、2012年10月16日に訪問した時は見当たりませんでした。探しそこねかもしれませんので、下にそのままあげておきます。
正門寄りには大きくなった「被爆アオギリ二世」が緑の葉を出していました。「被爆アオギリ二世 一発の原子爆弾で、広島の町は、あっというまに火の海になり、白島の逓信局(いまの中国郵政局)に植えられていたアオギリも、炭のように真っ黒に焼け焦げてしまいました。それでも何年jかたって、アオギリは新しい芽を出しました。被爆したアオギリは原子爆弾の恐ろしさと生命の力強さをわたしたちに伝えてくれているのです。そして、被爆アオギリをとおして、少しでも多くの人に平和の大切さを知ってほしいと願い、その苗木が「被爆アオギリ二世」として、広島市内の小学校にくばられました。ここにある木もその中のひとつです。みんなでこの木を大きく育て平和を愛する心を広げていきましょう。」と説明鋼板にあります。」小学校だからでしょうか、すべて「かな」がふってあります。(2002年5月13日訪問撮影)