20.市立第三国民学校慰霊塔(南区翠四丁目15・翠町中学校)
   
    当時あった市立第三国民学校高等科の学校。現在この校舎が翠町中学校になっていて、入り口に「廣島市立第三区國民學校之跡」という標識がたっています。「慰霊塔」は東側正門から入って右手にある。右に「昭和二十一年八月一日建之」、裏は「依遺族之寄附建立」、左は「為 昭和二十年八月六日戦災 斃職員生徒児童二百七名」とあります。

空白の学籍簿 「全滅」の詩で有名です。あの日、市役所方面の建物疎開に出動していた教員8人、児童209人のうち、教員7人、児童152人が死亡したという記も残っています。慰霊碑には211名の氏名が刻まれています。1946年8月1日建立され、その後、1975年頃今の物に建て替えられたということです。毎年8月4日全員登校して慰霊式を行っているといいます。


写真は2002年月5月13日撮影
   
   

裏の碑文は「ここに我々はアリ・ハーズ平和基金の受領を記念し永遠の世界平和を願う翠町中学校教育理念の象徴としてこの碑建設する。あの日の熱線と炎に焼かれた原爆かわらは自らを炎として平和を訴えたアリス・ハーズの不滅の精神と共に常に我々に平和への努力と行動を呼びかけるであろう。

一九八三年三月七日 広島市立翠町中学校 教職員一同 生徒会 P・T・A 」

参考までに、「慰霊塔」の左の石柱は(表)教育表彰記念(右)昭和十七年八月八日と刻まれています。

写真は2002年月5月13日撮影

   
   またこの右に原爆瓦を表に配置し、「炎となりて」という碑が1983年に建てられています。

写真は2002年月5月13日撮影