26−2.地蔵寺 本堂・庫裏 (南区北大河町23−16)


下に被爆建物としての広島市の設置している説明プレートが貼り付けてある。

「被爆建物 被爆時の名称 地蔵寺(爆心地から3,440m)

この本堂と庫裏は、昭和20年(1945年)8月6日の原爆にも耐え、その姿を今日に残しています。  広島市」

 1992年、初めて黄幡神社を訪れた時には、神社の社殿とともに、隣の地蔵寺の建物が古いのが気にはなっていたが、特に傷んでいる様子も無く、当時の文献にも被爆建物としては採りあげられていなかった。現在の広島市の被爆建物」リストに採りあげられているので、その目で伺った。

 

 

 




本堂はすぐ判るが、庫裏は住居として使用されていることが多く、初めての場合、良く判らない場合が多い。本堂右の建物が庫裏。下の方は新しく改修されているようだが、屋根を見れば古いのがわかる。(右の建物)









写真はいずれも2012年10月18日撮影