30.宇品小学校の文字の消された「碑」(南区宇品御幸四丁目・宇品小学校内)


 

 御幸通りから宇品小学校正門に入ると左手のグランドわきに、表に文字の消された跡のハッキリした自然石の「碑」がある。裏を見ると「紀元二千六百年紀念 宇品尋常等小学校職員童父兄建之」とある。皇紀二千六百年を記念して建てられた碑だ。

小学校内の「戰役記念碑」や「忠魂碑」については、アジア大会を前の1991年に、「教育現場に戦争を称える内容の碑がたっている」との教組等の指摘もあり、市内の学校には8校に9基、そのような碑が立っているのが判明し、「撤去・移転」か「平和教育の教材として活用するか」が問題になったが、結果、教育委員会によって過去の歴史を学ぶものとしての「説明板」が添えられている。

が、ここのは文字が消してある。何と書いてあったのか憶測するしかないが、「説明板」では処理出来ないほどの凄まじい文句があったのではないか?、と思われたが、この指摘により朝日新聞が調査してくれた。(1998年2月24日付け)

皇運扶翼」という文字だったそうです」とは校長が地元の人から聞いた話だという。「皇運」とは皇族の運、「扶翼」とは仕事がうまく進むように助けるという意味らしい。「コンクリートの状態から戦後間もないころのことでは……。どういう意図で塗りつぶしたのか判らないし、このままにしておくしかありません」という話だ。