1930年「千田貞暁」の名前から「千(せん)」と「暁(ぎょう)」をとって設立された寺。先の戦争が終わったころには、庭には引き取り手の無い兵士の遺骨がいっぱいあったといいます。
爆心から4310m、広島市の被爆建物として登録されていましたが、2012年1月27日確認に訪れたところ、本堂はそのままでした(左の写真)が、多くの遺骨を保存していた納骨堂(下の写真2008年4月28日撮影)は消えていました。
広島市にこのことを告げ、市民局平和推進課が千曉寺に問い合わせたところ、2011年3月に、老巧化により床や棚の底が抜け安全性の確保からやむなく取り壊されたことが判明しました。
本堂は、今後とも保存していきたいとの千曉寺からの返事ということです。
左の写真は2012年1月27日撮影 |