53.竈神社・社殿・忠魂碑      (南区仁保一丁目16−14)

   

左の門柱、石段の上に被爆建物の社殿がある。写真は2012年10月13日撮影。

下には広島市の設置した説明プレート「被爆建物 被爆時の名称 竈神社(爆心地から4,520m)

階段上の社殿は、昭和20年(1945年)8月6日の原爆にも耐え、その姿を今日に残しています。 広島市。」

さらに「竈神社

祭神 興津日子神、興津比売神

相殿神 宇迦御魂神、言代主神

例祭 九月最終日曜日(旧例祭旧暦八月二十四日)

御旅所 南区仁保四丁目、住吉神社

由緒 往古この地は山裾が海中に突出して深く淵をない、船舶の停泊に都合が良く、村落早くより開け、村民は漁業に従事した。享保七年(一七二二)八月二十四日に至り、村民の幸福、家内安全と家門の繁栄とを祈念して竈神を勧請し、荒神さんと称して尊崇す。

神社に御用の際は 邇保姫神社までお願いいたします。

п彦ax  0827−84−2529281−4538 広島市南区西本浦町12−17

   
 

「竈神社 昔、このあたりは海に突出して深い淵であった。そのため、船舶もよく出入りし村落も早くから開けていた。享保七年八月二十四日(一七二二年)に人々の幸福と家内安全と家門の繁栄とを祈念して竈神社を勧請し(荒神さん)と消して尊崇している。

仁保郷土史会・仁保公民館」

社殿の横の建物に「奉献 竈神社修復記念

平成元年九月吉日

田中實則 灰田巌 定礎」とある

 
   
   

また神社の前には「平成五年九月吉日 田中實則 ヒサコ」と刻まれた石柱が立っている。

 

写真は2012年10月13日撮影。

   
 

階段の下に「忠魂碑」が建っている。「陸軍大将 一戸兵登書」とある。

左横に「大正拾八年九月建之 沖野鶴蔵 下に錦田常吉、河内善助、中村吉永、木村徳太郎、進藤音松、森本菊五郎と六人の名前。

 裏は會津戰役戰死 梶川太郎左衛門、日清戰役戰死 小谷太四郎、奥野総一郎、日露戰役戰死、法林薫外7名の名前、日清・北清・日露及び日独戰役 出征兵士名、板村國太郎外102名の名前が刻まれている。

右横には11名の名前と、発起者 区長 中尾勇次郎の名前が刻まれている。

 
   
   

下の石燈籠、上の狛犬には大正5年八月吉日と刻まれている。