1−2.多聞院遺跡とそばの「御大典記念碑」(南区比治山町7−10) 

   多聞院の中は前頁 において紹介していますが、外側の2つの説明板と遺跡と思われる入り口のレンガ造りの跡を紹介しておきます。
   
 多聞院(説明文)
利氏が郡山城下下吉田に建てた真言宗寺院である。広島城築城とともに三滝山麓に移され、さらにこの地に移されたのは慶長9年(1604)、福島氏の時代である。この寺の鐘楼、十三塔は奇跡的に原爆による破壊を免れている。
境内には、「日本外史」を著した頼山陽の一族の墓と儒学者で浅野藩に仕えた上田艮背の墓があり、いずれも県指定の史跡となっている。



(説明板)多聞院(爆心地から約1.75キロメートル)
原爆の爆風により瓦が全部落下した多聞院本堂には、1945(昭和20)年8月6日夕刻、倒壊・全焼した県庁に替わり県防空本部が置かれました。翌日、県庁は東警察署に移りましたが、同院は救援物資の受付や、比治山に逃げてきた多数の被爆者などに握り飯の配給を行いました。爆風で梁を破損した鐘楼は、現在もそのまま保存されています。(爆風により大破した本堂 1945年9月下旬 松本栄一氏撮影)