11.御便殿跡   (南区比治山公園1)

    1894年、日清戦争が始まると、9月15日明治天皇は広島城第五師団司令部に大本営を移し、対清作戦を指揮することとなりました。翌年4月27日戦争集結後離広まで、西練兵場の一角に宿舎をとり、ほとんどその中を出ることは無かったようです。1910年、広島市がこの建物を譲り受け、この比治山に移し観光名所としていました。比治山の山頂から御便殿(天皇の休息所)が軍都広島を睨みつけていたわけです。1945年の原爆でこの木造の建物は吹っ飛びました。今は礎石も取り払われ、石灯籠や記念碑などにわずかにその面影を残しているだけです。しかし天皇家の聖地のように扱われ、昭和天皇は2度(皇太子時と戦後)訪れていまっす。その件は本編に出しています。今その場所には美術建築物が建てられて、入り口には「まんが図書館」もあり、標識には「御便殿跡」とあってもあまりピンと来なくなりました。
   
 写真はいずれも2012年10月13日撮影。