12.皇太子殿下御展望記念碑と昭和天皇歌碑  (南区比治山公園・御便殿跡)

   昭和天皇は即位直前の1925年(大正15年)5月26日、祖父の明治天皇ゆかりの地、ここに立ち寄って市内展望を行っている。それを記念して1941年、広島市長の名前で建てられたのが、右の「皇太子殿下御展望記念碑」である。被爆遺跡でもある。


 左の「大御歌 広島 ああ広島平和の鐘も鳴りはじめ たちなほる見えてうれしかりけり」という歌碑は、原爆投下の翌々年1947年に昭和天皇が広島に立ち寄った時に詠んだ歌を、1986年12月、名誉市民灘尾弘吉、天皇陛下在位六十周年広島県記念奉祝委員会の名で、復興した広島市・県民の天皇陛下への感謝の念を表すために、として建立されたもの。

裏には次のような碑文が書かれている。

「天皇陛下御在位六十年奉祝記念

昭和二十二年十二月7科天皇陛下は今田原爆の傷跡もいえぬ広島市に行幸され 親しく市民をご激励された 市民も歓喜のうちにお迎えし 広島市復興再建への大いなる励みとなした

陛下は爆心地である相生橋ご通過の折 鳴りひびく「平和の鐘」をお聞きになられた この大御歌は広島の立ち直る姿へのご感慨をお詠みになられたものである

天皇陛下御在位六十年をことほぐ年にあたり広島県民・市民の陛下への感謝の念を永く後の世に伝えるため この地に御製碑を建立する

揮毫者 元衆議院議長 灘尾弘吉 広島市名誉市民 

昭和六十一年十二月二十五日

天皇御在位六十年広島県奉祝委員会」

昭和天皇が1975年10月の記者会見で、広島、長崎への原爆投下について「原子爆弾が投下されたことに対しては、遺憾に思っていますが、こういう戦争中であることですから、広島市民には気の毒であるが、やむをえないことと私は思っています」と発言したことは広く知られている。このような碑文を張りつけた人たちは、なんとまあ人の良い人たちであろうか?

写真は2012年10月13日撮影。