2.牛田供養塔 (東区牛田中二丁目3・牛田公園内)

 

 牛田地区は戦前開発された住宅団地が多く、都市の住民は大地主か長屋の借家人という時代でしたから、今でも高級住宅街というイメージで見られる事が多いようです。爆心から2キロ少し離れたこの地区は、京橋川沿いは焼失しましたが、外は焼け残り、逃げ込んだ被災者達であふれたといいます。そのうち800人近くが死亡、未だもって身元不明の人も多いようです。

 この地区の人によって手厚く葬られ、1950年供養塔が立てられ、1969年建て替えられました。裏には「祈原爆犠牲者御冥福 昭和四十四年五月再建 任都栗司」。

右の石碑には表に「供養塔」と刻まれ、裏は「昭和四十五年六月之建任都栗司」と刻まれています。

左の観音様の裏にも「昭和四十五年六月之建任都栗司」とあります。 

 

 仁都栗司というのは、元この地区の代表的市会議員でした。公園の片隅にあって鉄柵がしてありますが、観音像をいたずらから守る為でしょうか。1992年立ち寄った時には門に鍵がかかっていたのを覚えていますが、2012年に再訪したところ鍵はかかっていませんでした。さすが不心得な人はおられないようです。(写真は2012年5月13日撮影)