4.水道資料館(牛田軍用水道送水ポンプ室)等   (東区牛田新町一丁目8)

 広島は、三角州に橋を渡し、更に埋め立てで出来た街。井戸の水の出は悪く、衛生面でもたびたびコレラが流行するなど、軍都としては問題がありました。そのため、日本最初の水道が1888年横浜に設置されると、函館、神戸、岡山、名古屋、長崎、大阪に次いで、日清戦争の教訓もあり、1898年8月にこの牛田の地を水源地として、軍用水道として完成されました。ちなみに東京の水道が完成したのがその翌年、1899年当時の水道普及率は2.4%、現在94%を超える水道普及率が30%を超えるのは太平洋戦争突入前です。全国でも早い時期に敷設された水道は、軍用という事で開かれ、その翌年に市民向けに開放されたものです。写真は2002年12月13日撮影。

   

(1)水道資料館(牛田軍用水道送水ポンプ室)
 ここに紹介する水道資料館は、1924年牛田軍用水源地内に送水ポンプ室として建てられたもので、1985年7月に水道資料館として再生され、市民向けに開館されました。
 日曜、祝日、水、金、土,曜開館。 ただし8月6日は休館。無料。東区スポーツセンター横から入ります。
 爆心地から2800mあり、被害はさほどではなかったようです。

資料館前に「不舎晝夜」と書いてあるのは「ちゅうやをおかず」と読みます。臨時廣島軍用水道布設部長正四位勲二等功三級男爵児玉源太郎書となっています。「深仁厚澤」(しんじんこうたく)というのは伊藤博文が書いたもの。「広大な仁徳という意味で、明治天皇の深い恵みにより創設されたという意味」と、説明されています。
ちょっと待って。「天皇の恵み」の結果は、どうなったのでしょうか?

   
 水道資料館の隣に旧量水室が残っており、今はビデオルームとして使用されているということです。これらは、水道敷設以来のものという。これは1972年まで活動しており、真ん中の量水ポンプ室前にその量水、送水の2つのポンプが展示されています。  
   
   (2)水道局牛田浄水場 旧緩速濾過池、上家         (東区牛田新町一丁目8)
 水道資料館を訪れると、後ろに古いレンガ造りの小さな建物が目につきます。元の緩速濾過池の上家です。他にも井戸の跡らしきレンガが残っていたりします。