22.萬休寺・本堂・鐘楼門・庫裏  (東区中山東三丁目3−3)

   爆心から4,600m。本堂(左)、鐘楼門(右)、庫裏(下)が被爆建物。入り口、鐘楼門右に寺が設置された説明板がある。

萬休寺の本堂・鐘楼門(爆心地から約4.6キロメートル)

 人類史上初の原子爆弾が1945(昭和20)年8月6日午前8時15分、広島市中心部の上空約580メートルでさく裂し、一瞬のうちに街は焦土と化しました。

1917(大正6)年に再建された萬休寺の本堂・鐘楼門も大きな被害を受けました。特に本堂は、爆風により屋根が吹き上がり、たたきつけられ、屋根の太い梁も折れるなど大破しました。戦後、応急修理がなされ、50年以上も使われてきましたが、爆風の影響によると思われる本堂の柱の傾きが顕著になり、危険な状態になりました。

 このため、1998(平成10)年、広島市被爆建物保存・継承事業の援助を受け、保存工事が実施され、被爆の惨禍を後世に伝えています。」

写真はいずれも2012年10月5日撮影。

   
 これを読んで、広島市が被爆建物と定義しているのは爆心地から5キロ、4キロを過ぎたら被爆の痕跡はほとんど残っていないなー、なんて思っていましたが、改めて爆風のすさまじさを思い知らされました。  
   
 経験的に、原爆慰霊碑を設置したり、説明板等で被爆の跡の保存に熱心なお寺は、それを尋ねていく人間を喜んで迎えてくれると甘えていましたが、写真撮影については、やはり礼儀は尽くさねばならないと改めて思い知らされました。お詫びしたら、快く写真撮影を許可して頂き、下の被爆建物、庫裏も教えて頂きました。